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ハーモニー感覚とは:分離唱・純正律・不協和音 (2) [体験記:音のレッスン(完)]

分離唱と不協和音

またしても正確な定義は楽典とか音響学の本にお任せするとして、和音には協和音と不協和音があります。「協和」しているかどうかは「ピュア」かどうかとは異なります。「ピュア」はうなりの程度の問題・物理の問題で、「協和」は主観の問題・心理の問題です。

もちろん、協和音と不協和音、構成音の周波数比率、合成音の波形など物理の観点からも説明はできますが、とりあえずこの記事では協和・不協和という言葉を主観の問題として考察してみたいのです。

「不協和」という言葉から感じるイメージは少し不調和の印象がありますが、音楽の要素として考えると
 協和音:弛緩・安らぎ・拡大
 不協和音:緊張・不安・縮小
のように、相反する要素であるというだけです。一方だけでは退屈・単調になってしまうでしょう。また、「不協和音」に属するのかどうかはわかりませんが、ジャズで多用されるテンションを含む響きなどは都会的・クールな印象で、私などは洗練された響きのように感じます。

そこで、分離唱的なハーモニーという点から私が何を気にしたのかです。これまでのいくつかの記事で「奥の意識」という表現をご紹介しました。分離唱的なハーモニーを生み出す根源が人の奥にあるハーモニーに対する本能的な感覚にあるという書き方をしました。

この感覚は本能的なものであり、誰でも持っているはずです。しかし、「頭で考える、判断する」ことがクセになっている現代人の場合この感覚が十分に働いていないので、改めて「分離唱」や「音のレッスン」のようなこの感覚を目覚めさせるためのレッスンが必要になってくるわけです。

それではこの「奥の意識」とはどのようなものなのでしょうか。「奥の意識」を目覚めさせ、磨いていくとはどのようなことなのでしょうか。

その全体は残念ながら今の私にはわかりません。一ついえることは、「美しい響きを歌い、奏で、楽しむ能力」という音楽の世界だけで終わるものではないのだろうということです。直感的には「考察:スピリチュアルなテーマ」というカテゴリーで探求しているテーマとどこかに接点があると感じています。

とりあえず話を限定して、分離唱を「奥の意識」を働かせて歌う行為とした上で、それと「協和音・不協和音」との関係について考えてみます。

協和音=調和した美しい響きという感じがあります。そして、分離唱的にドミソの3和音を声に出すとうなりのない、ピュアな響きになる。このことは「調和したものに美を感じる」という人間の本能を認めるなら、当然なことのように思います。

一方で不協和音はどうでしょうか。「不協和」が個人の主観の問題であるにしても、協和音に比べれば、緊張感があり、音のうなりも多い響きです。このような和音の中の一音を出す時のその意識とはどのようなものか、それが私の疑問だったのです。「調和する響きとしての一音を出す」という行為には思えないのです。これは本能的な行為なのでしょうか。

自宅の電子ピアノで、短2度や長2度、あるいは減3和音、増3和音などを弾いてみました。まずその構成音をしっかりと分離して聞くことに非常な困難を覚え、その中の一音を声に出そうとしても他の構成音につられてしまいなかなかうまくいきません。あくまで本格的な音楽の訓練を受けたことのない私の場合であり、練習が足りないと言われればそれまでです。ただ、協和音に比べるとやはり難しいのです。(ブルガリアン・ボイスへの道は険しそうです)

こういう中で働かせるべき「奥の意識」とはどのような意識なのか。分離唱は不協和音にも適用されるものなのか、疑問を感じたのはそういうことです。

このあたりを先生に質問してみたことがあります。先生の説明ではピアノである音を弾けば、その音の倍音群も同時に鳴っている。だから、ドとレのように隣り合い、ぶつかりあっている音同士であっても、倍音群も含めて考えると、必ずどこかで同じ音になっているので、そういう意味では全ての響きが調和している。そのようなご説明でした。なるほどです。

それとは別に私なりに考えたのは、「後ろに声を出す」という記事で書いてきた「ミキシング」「音の柱」という視点との関係です。

協和音であろうが不協和音であろうが、それぞれの必要性、役割があるからこそ、作曲家や演奏家がそれらの和音を使っているわけです。だとしたら、ミキサー(ミキシング作業をする人のこと)の立場としては、不協和音に対しては「不協和な響き」をしっかりと奏でるようにミキシングすることが課せられた役割、そう考えたのです。

ド・ミ♭・ソ♭という減3和音があるのなら、もっとも生き生きとした減3和音になるように、ミ♭の音を出すということ。少し考えが飛躍していると感じるかもしれませんが、これは協和・不協和という判断をせず、全ての響きにその役割があるとして、全ての存在をニュートラルに受け入れるということです。

これは「奥の意識」=本能的な感覚=調和を好む感覚を超えた世界であり、それなりの訓練も必要な気はします。先のミ♭はド・ミ・ソの長3和音のミの音を出すよりも困難であり、ある程度の訓練を積まないと出せない、私自身についていえばそういうことです。

どこまでが分離唱の響きの世界なのかはわかりません。そこにこだわる気もありません。ただ、「全ての響きに誠実に向かい合いたい」そういう姿勢・感覚を私としては大切にしたいと思います。


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コメント 2

まりうす


協和音と不協和音…便宜上そのように呼んで定義づけるようですが、私には分けて考える感覚がありません。
ただ、感覚的に好みかどうかっていうのはあり、
ジャズで使うテンションコードの不安な緊張感のある響きが結構好きだったりします。

ブルガリアンボイスや雅楽をお好きなまいなさんなら、耳がその響きに慣れれば、つられずに分離唱でいずれ歌えるようになりますよ♪

苦手と思わないのが、耳を開くコツではないかと…(⌒▽⌒)
by まりうす (2012-04-08 19:59) 

まいな

「耳がその響きに慣れれば、つられずに分離唱でいずれ歌えるようになりますよ」、力強いお言葉です。

記事中に書きましたように、不協和音という言葉は使わないにしても、ある種の和音ですね、ピアノで弾いてみて何度も聞いてやっと分離して聞こえる音があるのは事実です。

好きな響きだし、苦手意識を特に感じたことはないけれど、「意識的に聞く」という意味でまだまだ耳が慣れていないのですね。

まりうすさんのアドバイスを励みに、さらに聞き込んでいきます。夢は大きいので、この程度のことではあきらめませんよ!

コメントありがとうございます。

by まいな (2012-04-08 20:31) 

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