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体験記:音のレッスン(完) ブログトップ
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「音のレッスンとは何なのか」:音楽の微分と音(響き)の積分 [体験記:音のレッスン(完)]

はじめに

昨日は都内で「風の歌」のコンサートがありました。私が始めて「風の歌」のコーラスを聞いたのが昨年の5月。まだ震災直後という空気が街中にただよっていた頃でした。そして、このカテゴリーで綴ってきた「音のレッスン」を開始したのが7月。約1年前後経過したことになります。

この間、個人レッスンにせよ、コーラスの練習にせよ、決して多くの回数をこなしてきたわけではありません。それでも1回1回を大切にしてきたし、そこで感じたことを「体験記:音のレッスン」としてこのブログで紹介させていただきました。

ここでブログの記事としては今回を一区切りにしたいと思います。ほぼ1年経ったのでちょうど良い区切りだろうということではないのです。

私が「体験記:音のレッスン」を書いてみようと思い立った動機は最初の記事に書いたとおりなのですが、書いていくうちに気づいたことがあります。それは「私自身にとって音のレッスンとは何なのか」、それを明確にしたかった、それが(潜在的な)本当の動機だったのだろうということなのです。

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声を出す時の身体感覚 (2) [体験記:音のレッスン(完)]

清里での「風の歌」のコーラス合宿が無事に終わりました。前回の初参加の時は右も左もわからないまま、とにかく無我夢中で声を出していました。そして、ほんの一瞬でも美しい響きの中に浸る体験ができた瞬間の「これこそ自分が求めていたもの」、そんな感動をお土産として持ち帰った合宿でした。

今回はもう少し自分自身の問題意識とか課題を明確にして臨んだ合宿であり、そのことを前回の記事に書いたのでした。そして合宿を終えて、3日間の集中した練習の中で感じたことをメモしておきたいと思います。

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声を出す時の身体感覚 (1) [体験記:音のレッスン(完)]

明日から「風の歌」(鍋島先生主宰のコーラス・グループ)のコーラス合宿があり、二泊三日の予定で清里へ行ってきます。朝から晩まで集中的にコーラスの練習、今から楽しみです。この合宿が終わって、来月は新宿で定例のコンサート、7月には滋賀県でのコンサートの開催予定があり、最近は先生の指導にも一段と熱が入ります。

合宿に参加するのは2回目です。昨年の秋の合宿は私にとって初めて「風の歌」のメンバーとの顔合わせでした。どんな合宿なのか、どんな練習をするのか、いきなり参加して練習についていけるのか、普通はそういうことを心配するのでしょうが、不思議とそういうことは一切考えず、気がついたら参加していたという感じでした。

その時は先生が1オクターブ上のバスを歌ってくださり、私はひたすらその声に合わせて無我夢中で声を出すだけでした。それでも、全体の響きに自分の声が溶け込んでいく感覚、それだけは体感することができたのは大きな収穫でした。

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「音のレッスン」とピアノ [体験記:音のレッスン(完)]

今回は音のレッスンの意義のようなものを少し視点を変えて書いてみました。

「徹底的に周囲の音を聴く中から生まれるハーモニー」、音のレッスンではこれを追求しているわけですが、そこで使われている楽器はというと、「人の声」なわけです。人の声なので音程の微調整もできるし、その結果としてピュアなハーモニー、透明な響きを生み出しているのです。

それではピアノのようなあらかじめ調律が固定されている楽器ではどうでしょうか。私が関心があったのは、音のレッスンを通じて体得していく「耳をひらく」という感覚が、コーラスという「人の声の重ねあわせによる響き」以外ではどのように活かされるものなのだろうかということです。

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ハーモニー感覚とは:分離唱・純正律・不協和音 (2) [体験記:音のレッスン(完)]

分離唱と不協和音

またしても正確な定義は楽典とか音響学の本にお任せするとして、和音には協和音と不協和音があります。「協和」しているかどうかは「ピュア」かどうかとは異なります。「ピュア」はうなりの程度の問題・物理の問題で、「協和」は主観の問題・心理の問題です。

もちろん、協和音と不協和音、構成音の周波数比率、合成音の波形など物理の観点からも説明はできますが、とりあえずこの記事では協和・不協和という言葉を主観の問題として考察してみたいのです。

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ハーモニー感覚とは:分離唱・純正律・不協和音 (1) [体験記:音のレッスン(完)]

はじめに

適切な記事タイトルがみつからなくて、とりあえずこのところ気になっていた言葉を書き並べてみました。書きたいのはこれらの概念の関係みたいなことです。

自分で書いておきながら何なのですが、本当に個人的な関心の域を出ないテーマです。皆様の時間を無駄にしないために初めにお断りしておきます。(何を言っているかわからなければ無視して読み飛ばしてくださいということです。)

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タグ:分離唱

後ろに声を出す (3) [体験記:音のレッスン(完)]

はじめに

「後ろに声を出す (2)」では「ミキシング」という作業にたとえて、(合唱なので)3声なり4声の音のバランスを整えるということと、そのハーモニーの響きに調和するように自分の声を出すことという2つのポイントについて書きました。

それで終わらせるつもりでしたが、書いているうちに「こういうイメージでももう少し説明できるかもしれない」というヒントが浮かんだので、今回はそれについて書いてみます。

そのイメージを用いると、いわゆるポップスと呼ばれる音楽と「風の歌」が目指しているコーラスの構造的な違い(少し大袈裟ですが)を説明できる気がするのです。

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後に声を出す (2) [体験記:音のレッスン(完)]

「ミキシング」という作業に例えて

「後に声を出す (1)」では、「後に」ではなく、普通に歌うときどのような意識の状態にあるのか、自己観察の結果をまとめてみました。

これに対して「後に声を出す」意識・感覚はどのようなものなのでしょうか。

数回の個人レッスンとコーラスの練習、これらを通じて今私が感じているのは、「ミキシング」という作業を行っているときの意識が一番近いかなということです。

そこで、以下「ミキシング」というものを例にして、「後に声を出す」ことの意味を考えてみます。

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タグ:意識

後に声を出す (1) [体験記:音のレッスン(完)]

はじめに

前の記事で「(意識の)回転数をあげる」という表現についてご説明しましたが、今回は先生がよく使うもう一つの表現「後に声を出す」という表現について書いてみます。

この言葉はなかなか奥の深い言葉に思えます。今の時点での私の理解についてご紹介しますが、私自身が今後さらに音のレッスンを積み重ねる中で、多分新たな気づきもあるでしょう。

「後に声を出す」という言葉について、先生は「もちろん音はのど・口を通じて出すものなので、前から出ているには違いないのですが、口が首の後ろについている気持ちで声を出してください」と指示されます。

これはどういう意味でしょうか。物理的な音だけに注目していてはさっぱり意味がわからないでしょう。先生がおっしゃているのは多分、「声を出すときの意識」についてなのだろうと私なりに理解しています。

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タグ:意識

意識の回転数 [体験記:音のレッスン(完)]

はじめに

音のレッスンの中で先生はしばしば不思議な表現を用います。その一つに「もっと回転数を上げて」という表現があります。

決していい加減に歌っているわけではないが、ほんの一瞬気がゆるんで惰性で声を出した瞬間、先生はそれを逃さず、「音が落ちています、もっと回転数をあげてください」と指示を出します。

聞く側に立つとわかりやすいですが、「どこか気の抜けた音だな」とか、「音が下がり気味では」と感じる瞬間のことと考えてください。

そこで、「回転数を上げる」とはどういう意味なのか、また、どうすれば回転数を上げることができるのか、そのあたりを探ってみたいと思います。

「探る」という言葉を用いたのには理由があります。

「回転数を上げる」という表現、ちょっと不思議で意味不明の表現だと思うのですが、私自身は先生からその意味をレッスン中に詳しく説明していただいた記憶はないのです。

ただ、自分なりに先生の言わんとするその意図を汲み取る、あるいは、何を求めているのかを感じ、「回転数をあげたつもりになって」声を出す。すると先生が「今のはいいですね」と言う。

そういう練習の繰り返しの中で、「多分こういう理解で間違いはないのだろう」という自分なりの解釈があるにすぎません。

以下に書いていく内容はその私の解釈のご紹介ですので、そのつもりでお読みください。

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タグ:意識
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